テクノロジーは、いつのまにか「慣れるもの」になっていた

AI生活

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朝、目覚ましの代わりにスマートウォッチが振動する。

画面には昨夜の睡眠スコアが表示され「深い睡眠が少なめです」。

特に驚かない。

コンビニでコーヒーを買い、スマホをかざして支払い、財布は鞄の奥に。

夜、ソファに座ると、テレビが「おすすめ」を並べている。

誰かが設定したわけではない。気づいたら、そういう環境になっていた。


ここ数年、テクノロジーの話題といえばAIだった。

でも実際の生活で変わっているのは、もっと地味なところで、決済の仕方、体のデータの取り方、テレビの見方。

派手な革命ではなく、気づいたら変わっていた、という種類の変化。

なぜ人は「すごいAI」より「地味な家電」の話に反応するのだろう。

ひとつの見方として、人は「理解できる変化」にしか動かないというものがある。

ChatGPTがどれだけ賢くても、自分の明日の朝がどう変わるかは想像しにくいが、「支払いがスマホ一つで済む」は、明日の自分に直接触れる話だ。

「理解できる」というより「射程に入る」と言う方が正確かもしれない。

少し背伸びすれば届く変化には反応できる。でも遠すぎる変化は、どこか他人事になってしまう。

加えて、情報の量自体が増えすぎた。

AIの最新動向、各国の規制、新しいモデルの性能比較。

追いかけようとすれば際限がなく、いつのまにか人は、無意識に「これは自分に使えるか?」というフィルターで情報を選ぶようになってきている。

生活テックはそのフィルターを通過しやすく「ウェアラブルで睡眠が改善されるかもしれない」は、自分に使えるかもしれない話だ。

「大規模言語モデルのアーキテクチャが刷新された」は、今日の自分には直接触れない。

悲しいとか残念とかではなく、これは人間として自然な選択だと思う。


ただ、少し気になることがある。

ウェアラブルで健康になった人より、安心した人の方が多いのではないか?という感覚。

睡眠スコアを毎朝確認することによって行動が変わったかどうかは別として、「ちゃんと計測している」という事実が何かを満たしている。

数値を持つことで、なんとなく管理できている気になっていたりする。

別にこれを批判したいわけではない。

ただ、テクノロジーへの関心が「便利になりたい」よりも「不安を減らしたい」に近づいているとしたら、それは少し違う話だとも思う。


社会全体で見れば、テクノロジーとの付き合い方が変わってきていて、かつては「使いこなす人」と「使えない人」の二項対立があったが、今は、意識せず使っている状態が標準になりつつある。

スマホ決済を選んでいるというより、気づいたらそうなっていた人の方が多い。

テクノロジーが「選ぶもの」から「慣れるもの」になったと言えるのだろう。

この流れがどこへ向かうかは、まだわからない。

ひとつ確かなのは、次に話題になる生活テックも、きっと「すごいから」ではなく「なんとなく使えそうだから」という理由で広まっていくということ。

朝のスマートウォッチの振動に慣れたように、人は、次の「普通」へ移行していく。

それが快適なのか、それとも何かを失っているのかは、わからない。

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